東京での小さな出来事  筆・李肇星  翻訳・三浦一水

 きっと、いつも何時も心の中に自分の家の中の一寸したことがあるからなのだろう。私は良く他人の一寸したことに気がつき、心に留める。昨年冬、初めて日本の東京を訪問したときも、そうだった。

腰をかがめた一瞬

東京の成田空港に着いたのは夕方だった。入国手続きを終えたところで、飛行機の上で我々に心を込めてお茶を入れ、新聞を渡してくれた日本航空のスチュワーデスにばったりと会った。飛行機から降りたばかりで、きっと家路を急いでいたのだろう。彼女は旅行鞄を提げ、外に向かって急いでいるところだった。我々を見て、彼女はニッコリと微笑み、もう一度さよならをして、続けて腰をかがめ、誰が捨てたのかわからない小さな紙屑を拾い上げた。その瞬間、私はロビーの床が非常に清潔で塵ひとつ落ちておらず、照明のもと人々の姿がはっきりと映し出されるほどであることに気がついた。

大勢の仲買人と少ないゴミ箱

 朝6時頃、霧雨がシトシトと降り、街行く人もまばらな中、東京中央青果卸売市場は人声で沸き返っていた。卸売商は小山のように積み上げられた青果箱の上で声高に値段を告げ、小売商は相争って値段交渉をしている。双方が妥協し交渉が成立するや、小売商は直ぐさま箱をトラックに積み、それぞれの八百屋へと急いで去ってゆく。彼らはおそらく北京の人が言うところの"仲買人"なのだろう。見たところ、1000万の東京市民が手間をかけずに野菜を買うことができるのは、これらの早起きを厭わず、走り回ることを厭わない人々と大いに関係があるのだろう。 青果卸売市場の野菜はそれぞれみな、きれいに洗ってあり、再びきれいにする必要はなく、そのまま家庭の冷蔵庫に入れるか、或いは一寸水洗いして台所のまな板に置くことができる。私はこれで、ここの人口密度が小さくないのに、大通りのゴミ箱が決して多くない理由が少し分かった。

間違いじゃないか:魚一匹壱万円

 夜が明けて、八百屋、果物屋、魚屋、肉屋が次から次へと店を開ける。多くの店では、品物毎に値札をはっきりと示し、顧客が値段を聞く手間を省いている。
 長い長い大根は1kgはあろうか、値段は300円。(1000円は約27人民元強。)
 特大のリンゴは一個1000円。
 大きな魚は一匹約2〜2.5kgで1万円もする。
 頭の中で計算してみる。ここの普通の労働者の平均月収は28万円、政府機関の課長クラスで30万円強、大卒初任給はひと月15万円……。これらの数字は日本の友達から聞いたものだ。若者の毎月の給料で、魚15匹、毎日平均2分の1匹?
 そこで私はガイドの女性にまた確認してみた。彼女の答えでは、日本で暮らすには、確かに細かく算盤をはじかなければならず、自活している若者であればなおさらとのこと。ただ節約の方法も少なくなく、例えば麺を食べるとして、一杯1500円のものもあれば、一杯250円のものもあり、量はあまり変わらないそうだ。

子供の昼御飯、子供の心

 ここでも、一部の子供は私の息子と同じように腕白であることがわかった。
 我々が参観した真土小学校で、授業中の教室を通り過ぎたとき、一番後ろに座っている2人の男の子が突然出入り口まで駆け寄り、我々に笑いかけて手を振り、座席に戻る前、さらに急いであかんべえをした。私は教師がきっとカミナリを落とすだろうと考え、わざと一行の列の後ろに回り、教師が彼らをどのように叱るかを待って見てみたい思った。しかし、窓から見える女性教師は依然としてニコニコと愛想の良い顔つきで授業を続けた。これは、"外国のお客さん"がいることを意識しての面子ではないだろうか。
 この小学校では、毎日児童のために昼御飯を作っている。校長先生の好意で我々は子供達と一緒に御飯を食べることとなった。
 食事は(注:大皿をつつく方式ではなく)一人一人に与えられる。小魚一匹、青菜一椀、牛乳一杯、柿半分が一人一人に与えられ、御飯は随意に盛られる。子供達は美味しそうに食べ、好き嫌いを言う者や外国人がいるからといって過度にはずかしがる者もいなかった。
 私と食卓を共にしたのは2年生と3年生の子供達であり、全員8歳で、非常に話が合った。私は二つの問題を聞いた。一つは大きくなったら何をしたいか。もう一つは先生は怖くないか。中井という男の子は大きくなったらパンを売りたいと言い、矢堀桃子という女の子はお菓子を売りたい、お菓子はパンよりも美味しいと言った。最後の一人は山口という男の子で、大きくなったら自転車屋を開くのがやはり格好良く、食べ物は2人の同級生が売れば良いと言った。彼らは誰も進学校や一流大学の受験とは言わなかった。]
 また3人とも先生は怖くないと言った。その理由は至極簡単なものであり、先生は良いことをすれば褒めてくれるし、間違ったことをすれば道理を述べ、更にはついでに面白い話を聞かせてくれ、保護者に告げ口をしたこともない−−この一つは特に重要である。
 別れ際に、子供達は校門で我々を取り囲み、横断幕を掲げた。そこには漢字で"天気は少し寒いですが、中国の友達は風邪に注意してください"と書かれてあった。
 天気は相当に寒かったが、この独特のお別れの言葉は我々の心を温めてくれた。それが子供達が自分で思いついたことであろうと、校長先生の指示によるものであろうと関係なく……。

1985年 北京にて

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